— 夏の夜にひっそり語りたくなる、長唄と三味線の奥深い怖さ —
私は、長唄の三味線の華やかで明るい音色が大好きです。
でも、中には、歌詞や背景の奥に、人の情念や因果、姿なき影がひそんでいるものも・・・。
舞台照明の影、三味線の音の切れ間、金屏風のスキマ、ちらりと揺れる袖―――
深読みしたら眠れなくなるような、本当は怖い物語が隠されている曲。
今日は、私・勝はな緒が 完全なる独断 で選んだ「本当は怖い長唄」ランキングを、夏の怪談風に、第5位からじわじわとご紹介いたします。
どうぞ、涼しい風とともにお楽しみください。
第5位|船弁慶
夜闇の海に、人ならざるものの気配が。
前半は逃避行の道中で静御前との別れの場面。
しっとりとした舞に悲しみが募ります。
その静けさ、秘めたる想いが深いほど、後半に訪れる“海”の気配が際立ちます。
唄も三味線もガラッと雰囲気が変わり、嵐が近づくときの、あの独特の重たい空気――
壇ノ浦で打ち破ったはずの平知盛が怨霊となって海から現れます。
歌舞伎の知盛は、斬バラ髪に青白い顔で凄まじい形相。
夜の暗闇の中、海から死霊が襲い掛かってくるなんて・・・!!
荒れる波に揺れる船の上で、逃げ場無し。
恨みに燃える敵との再戦という「ドキドキ」。
それに加えて、水面という“境界”から異界を覗き込むような、「ヒタヒタ」と沁みる怖さを感じます。
誰かが海の底から、隙を狙っているようで。
迫力のある三味線の音色の裏側に、“気配の怖さ”を覚える「船弁慶」です。
第4位|鷺娘
白い雪が、すべてを飲み込んでいく。
歌舞伎や日本舞踊でも人気の高い演目です。
三味線も弾きごたえがあって、演奏会などでも好まれる曲です。
雪の降る水辺にたたずむ、白無垢の振袖と白の綿帽子姿の娘。寒々しく、陰湿な印象で始まります。
前半は可憐で愛らしい町娘の姿で娘時代の恋の話などを聞かせつつ。
こちらを明るい気持ちにさせておきながら、そこから急降下!
舞台が雪景色へ移り変わると、男への執念、地獄の責め苦に狂います。
実際、彼女は「鷺の精」なのか、「娘が鷺になった」のか、
最後は「死んで地獄に落ちた」のか、「生き地獄」で苦しんでいるのか、
あちこち資料を調べましたが、いろいろな見方があるようで、私には明確な答えが見つけられませんでした。
そんな曖昧さ、つかみどころのなさも、怖さのひとつ。まるで、白い世界で静かに“境界”が消えていくようです。
雪に包まれるほどに、娘の存在は薄れ、息遣いひとつまで雪の中へ吸い込まれてしまう。
悲しみと恋と、どうしようもない執念の果てに、人はこうして“姿を変えていく”のかもしれません。
これは、静かな怪談。
白の情景と、解釈の余白が怖い、「鷺娘」です。
第3位|綱館(つなやかた)
深夜、門の外に立つ“誰か”。返してほしいものがあるらしい。
武将・渡辺綱(わたなべの つな)が京都・九条で鬼退治をした――
その“後日談”が、この曲の本番です。
時雨の降る秋の日、門を閉ざした綱の館に、年老いた伯母が訪ねてきます。
それは、腕を切り落とされた羅生門の鬼神・茨木童子が化けたもの。
門の外に立つその影は、形こそ力ない老女でも、腕を取り返さんとする酷く強い意思がそこにある。
陰陽師の意見に背いて、門を開き、伯母を招き入れた綱。
酒を酌み交わすうち、鬼退治の話になり・・・・・
「返せ」 その執念ひとつの重さ。
腕を手にした途端、姿を変え、唸りながら辺りを睨み回す有様は、身の毛もよだつほどの恐ろしさ。
そもそも、切り取った鬼の腕を持ち帰り、唐櫃に入れて、応接間のすぐ取り出せる場所に置いておくなんて!
平安時代は、魑魅魍魎との“境界”が薄かったのでしょうか。
オートロックを開けるのが怖くなる、「綱館」です。
第2位|高尾懺悔(たかおさんげ)
そこにいないのに、気配だけが残っている。
吉原一の花魁、傾城・高尾太夫の悲恋。
彼女の物語は、華やかな世界と紙一重で、その裏に“行き場を失った思い”が静かに横たわります。
傾城(けいせい)とは、「君主に愛されて国(城)を傾けるほどの美女」というたとえ。
そんな、栄華を極めた高尾太夫が、死後、亡霊となって現世に姿を現します。
「高尾太夫」という名は、吉原の遊女の最高峰、大名跡で、代々受け継がれていました。
つまり、高尾太夫はひとりではないんですね。
この曲に登場する高尾は、仙台藩主・伊達綱宗に身請けされた、通称「仙台高尾」と考えられています。
身請けされたものの、他に心に決めた人がいたため綱宗になびかず、のちに、斬殺されたと言われる人物です。
もともと、ほとんどの遊女は何かしらの事情で売られてきた女性たち。
吉原は逃げられない牢獄のようなものでした。
長唄や三味線で「吉原」「廓」というと、男性の目線からにぎやかで楽しい情景を描いたものが多いように思います。
一方で、この曲は「つらい苦界の勤めから逃れたい」という思いを切々と語っています。
廓にあっても地獄、出ても地獄。死しても地獄で責めを負う・・・
“境界”を越えられない、どうあっても救われない身の上。
高尾太夫の亡霊は、恨んで出てきたのではなく、懺悔の思いで現れたもの。
そう思うと、高尾に罪はあるのかしら?と考えざるを得ません。
江戸時代の社会制度、遊女に対する不条理の怖さ、そして、高尾太夫の人生に対する悲哀。
怖いだけじゃない。深く深く、思いの淵に引き込まれる「高尾懺悔」です。
第1位|娘道成寺
桜の下に潜むもの。美しい舞の奥底に、熾火のような怨念。
その美しさはすべて“隠すため”のもの。
物語の核心は、愛する僧に裏切られた女の執念。
人の姿を捨ててまで追いかけ、ついには焼き殺す――
この「娘道成寺」の “表裏” こそ一番怖い!と、私は思うのです。
安珍・清姫伝説
「娘道成寺」は「清姫伝説」をもとにしています。
奥州から熊野に訪れた僧・安珍。道中で一夜の宿を求めた折、清姫に一目惚れされます。
清姫の猛アプローチを断り切れず、安珍は帰りに再び会いに来るといって出発します。
約束の日になっても来ない。
清姫は、安珍を探し求めるうちに裏切りを知り、怒りのあまり大蛇になって。
そして道成寺の鐘の中に逃げ込んだ安珍を鐘もろとも焼き殺すという、物語です。
(参考) 道成寺ホームページ https://dojoji.com/
長唄「京鹿子娘道成寺」
長唄の「娘道成寺」は、伝説をそのまま再現しているわけではありません。
舞台は、鐘が新しく再興された供養の日。
女人禁制の寺に、かつての罪を償いたいと白拍子が現れます。
男装の白拍子ならば、とあっさり入れてしまうのが、この時代の妙。
白拍子は次々と衣装や小道具を変えて多彩な舞を見せます。
そして最後。鐘に近づいて・・・
どこにも白拍子=清姫とは唄われていませんが、結び付けずにはいられません。
清姫の怨念や怒りは前面に出さず、恋する娘心を中心に、華やかなシーンが多い演目です。
日本舞踊でも、枝垂桜の模様の赤い振袖で、桜の山をバックに美しく演じられます。
三味線はリズミカルで、演奏して楽しい、見て楽しい、私の大好きな一曲です。
もうそこに安珍はいないのに、彼が最後に縋った鐘が今もなお妬ましい。
明るい情景に隠された凄惨な物語、正体の暗示、秘めた妄執。露骨な怪談より何倍も、心を抉ります。
新宿と怪談
新宿で有名な怖い話といえば、四谷怪談。
この土地は、江戸時代、甲州街道からの江戸の入口として大木戸(四谷大木戸)が設置された場所。
(参考) 四谷大木戸跡碑(新宿区 https://bunkakanko-annai.city.shinjuku.lg.jp/shosai3/?id=G229)
また、江戸城の外堀のすぐ外側に位置する、まさに江戸の“境界”にあたります。
昼は華やか、夜はひそやか。
武家地と町人地のあわいは、昔から多くの怪異を生んできました。
子どもの頃に感じた“ただ怖い”とは違う、大人になってわかる“静かで奥深い怖さ”。
長唄の物語は、そこをまっすぐ突いてきます。
どうぞ、夏の夜に、長唄の歌詞と奥深い背景に、三味線の一音一音の余白に耳を澄ませてみてください。
見えない何かが、近くに感じられるかもしれません。