難しそう?…実はとっても身近だった「長唄」

「長唄」と聞くと、ちょっと格式高い印象があるかもしれません。でもその実態は、江戸の人々にとって、とても“身近で粋”な音楽。人気の歌舞伎とともに流行した、まさに当時、江戸のポップカルチャーだったのです。
舞台で流れる三味線の節が話題を呼び、芝居見物の帰り道、「ほら、あの場面の節…こうだったよね」と口ずさむ。そうした日常の中に、長唄は自然に溶け込んでいました。


耳で聴いて覚える“江戸版カラオケ”文化

録音やテレビのない時代。それにもかかわらず、長唄の旋律は町のあちこちで聴こえてきました。
芝居小屋で聴いた節を“耳コピ”して唄っている人がいたり、長唄を稽古する芸者さんが、三味線箱を背負って町を歩いていたり。道ゆく人の会話にまで、流行りの唄が混ざることも珍しくなかったとか。
現代でいえば、ヒット曲を口ずさみながら歩くようなもの。それは、三味線の音が“街のBGM”として機能していたとも言えるでしょう。


「べらぼう」な人気を支えた出版の力

長唄の人気を加速させたのは、実は“出版の力”でした。
当時、江戸の貸本屋や書店では、長唄の詞章と楽譜をまとめた本が多数売られていました。なかでも有名なのが、浮世絵師・写楽などを世に出した出版人・蔦屋重三郎。彼は歌舞伎役者の人気と長唄の流行を見事に掛け合わせ、「今売れるもの」を見抜く鋭い感覚で、大衆の心をつかんでいました。
まさに、“べらぼう”に売れたコンテンツを作っていたのです。
当時の町人たちは、芝居のあらすじや唄を本で読み、家で真似して唄ってみる。これって今のYouTubeで流行りの「唄ってみた」「踊ってみた」と同じようなものですね。


芸者文化とのつながり

長唄は、花柳界の芸者文化とも深く結びついていました。
芸者さんたちにとって、長唄三味線は必須のお稽古ごと。お座敷やお祭りで披露するため、日々稽古を重ねていたそうです。その背中には、風情ある三味線箱が。江戸時代の箱には、背負いやすく工夫された紐がついていたそうで、芸者さんたちが颯爽と稽古場へ向かう姿が目に浮かびます。
いわば、”美人モデルさんたちが持っている憧れのバッグ”です。こうして三味線は、音楽としてもファッションとしても、暮らしの中にもごく自然にあったのです。


江戸の感性は、今にもつながる

長唄の歌詞には、恋の駆け引き、風景描写、風刺や笑い―― 人生の機微が巧みに盛り込まれています。それはまるで、当時のJ-POP。聴く人の心に寄り添い、共感を呼び起こすものでした。
ミュージカルや映画を見たあと。教室の帰り道だって、つい、耳に残ったお気に入りの一節を口ずさみたくなる。音に身をゆだねて、情景を思い浮かべる―― その楽しみ方は、江戸も令和も、そう大きくは変わらないのかもしれません。


なぜ、今また長唄なのか

インターネットやSNS、AIが発達した今、私たちはスマホさえあれば、いつでもどこでも新しい音楽に触れられます。
しかしその分、「人と一緒に音を合わせる楽しさ」や、「手から伝わる響きのあたたかさ」が、少し遠のいてしまった気もします。
そんな時代だからこそ、三味線を弾いて、唄を声にしてみる。長唄を通して、少し古風で、でも心にしみる時間を持ってみる。それは、江戸の人々が日々楽しんでいた“粋”の感性と、静かに共鳴するような体験なのだと思います。


参考・引用文献・資料

  1. 国立劇場公式サイト|長唄とは
     https://www.ntj.jac.go.jp
     > 長唄は歌舞伎と密接な関係を持ち、江戸時代を代表する町人文化の一翼を担ってきた邦楽のひとつです。
  2. 早稲田大学演劇博物館|歌舞伎音楽の世界
     https://enpaku.w.waseda.jp/
     > 長唄は歌舞伎音楽の主流であり、江戸の観客が口ずさむほどの人気を誇った。
  3. 『江戸の音文化』山口修(音楽之友社、2003)
     > 長唄の歌詞本や楽譜本は貸本屋などを通じて庶民に広まり、流行歌としての機能を果たした。
  4. 『蔦屋重三郎 江戸の出版王』中野三敏(朝日選書、2008)
     > 蔦屋重三郎は、写楽や黄表紙、歌舞伎関連出版などを通じ、江戸の“ポップカルチャー”を牽引した人物。
  5. 『江戸のポピュラー音楽』鶴田加茂(青土社、2010)
     > 江戸時代の長唄は、町で最も流通していた娯楽音楽のひとつ。庶民が唄い、弾く“参加型文化”だった。

歌舞伎と長唄の関係については、こちらをご覧ください。