「神楽坂」って、なぜ“神楽”?
東京・新宿の一角にある神楽坂。和の趣をたたえた石畳と、風に揺れる暖簾、どこか懐かしい気配が漂うこの坂道。でも、名前の由来に目を向けてみたことはありますか?
「神楽坂」の“神楽”とは、ご存知のとおり、神様に捧げる舞や音楽を意味します。この地域にはかつて「牛込神楽」と呼ばれる神楽の一派があり、赤城神社や若宮八幡神社の祭礼では笛や太鼓の音が鳴り響いたと言われています。
つまりこの坂道は、かつて神楽囃子の音が響く、音楽と祈りの場だったのです。
芸者と三味線が生きてきた町
江戸から明治、そして昭和初期にかけて、神楽坂は東京有数の花街でした。路地の奥には料亭が並び、そこでは芸者さんたちが三味線や唄、踊りを華やかに披露していました。
芸者さんがお稽古の行き帰り、細長い三味線箱を肩にかけて石畳をゆっくりと歩く姿。それはまるで、町の景色と音がひとつに溶け合うような、しっとりとした情景だったことでしょう。
今でも神楽坂を歩いていると、どこかから三味線の音が聞こえてきそうな錯覚に陥ります。それは、町の空気にしみ込んだ“音の記憶”が、静かに息づいているからかもしれません。
坂の上にある“音楽の砦” 音楽の友ホール
神楽坂上交差点近く、早稲田通り沿いにひっそりと佇む「音楽の友ホール」。雑誌『音楽の友』を発行する音楽の友社が運営するクラシック専用ホールです。私も一度、邦楽のクリスマスイベントで三味線を演奏させていただいたことがあります。約250席というコンパクトな空間ながら、音響の良さからプロのリサイタルにも使われます。
※ 参考:音楽の友ホール
このように、神楽坂は今も昔も“音楽のあるまち”。西洋音楽と日本の伝統音楽が自然に共存している、ちょっと特別な場所なんです。
神楽坂で音を“歩く”ということ
神楽坂のお稽古場に向かって歩くとき、赤城神社の階段をふと見上げたり、若宮町の静かな小道を曲がったりするたびに、私は、かつてこの坂を通っていた芸の人々の背中を感じます。
音楽は、演奏される場所にも魂が宿ります。神楽坂は、ただの観光地ではなく、音に育まれたまち。ここで三味線を始めることは、きっとその文化を静かに受け継ぐことにもつながっているはずです。耳を澄ませば、100年前の音がふっと心に重なるかもしれません。
神楽坂にもお稽古場があります。教室のお稽古場については、こちらをご覧ください。